なんだかな。こんばんは、たぬ吉です。
割とキツイです。もう、ありえません。

大きくいえばこの世から俺が消えても
「あ、消えた」で終わるじゃないですか。
ここのblogは言わずもがなですし。
むしろ消えろって思っている人間のほうが多いと思う。

一般的に生きる価値って言うのは
「幸福」と「不幸」を量りにかけて、
決してつりあわないグラグラな状態を
指していると思うのです。
どちらかに常に傾くことはないはずです。
でも俺の場合、量りにかけているのがこの二つではなく
「苦痛」と「不幸」です。

楽しそうだからやる、というよりも
大変そうだからやらない、ということのほうが多い。

生死の境って言葉がありますが、この状況は結構キツイです。
生きれば生きたで、その後待つのは辛いリハビリの毎日。
そこにいたる経緯で既に苦痛を味わうのに
その上リハビリって。挙句に後遺症とか。
後遺症を抑える薬代も馬鹿になりませんよ。

いじめ問題だって、
一昔前だったら日常茶飯事にあるようなことではないですか。
あんなので自殺するんだったら俺はとっくに死んでいる、
そう思っている人も多いのではないでしょうか。

最近、生きるのが面倒です。本当に。
いい加減に逃げたいです。でも一本道です。
しかも後ろから壁が迫ってきます。
今日も徹夜です。徹夜で他人のためにいきなり締め切りが
早まったバイトです。給料は変わらず。
こんなこと書いてないでバイトしろって感じです。

自殺は逃げるのではなくて放棄だと思うのです。
俺は放棄ではなくて逃げたい。救いの手が欲しい。
でも救われたと思ったことは24年間で一度もない。
救急車には何度か乗りましたが。パトカーはないです。

誰も幸せにならない、というものがありますが、
周囲を不幸にするものに果たして存在価値があるのですか?
俺は他人が気に入る、気に入らない関係なく
言いたいことは言います。前のFateとかもそうです。
それが100%人を不快にすると思ってもです。
こんな人間の存在価値って、フセイン以下だと思う。

人間の存在価値のカテゴリーを否定する人間もいますが、
俺はあると思います。ややっこしいですが。
周囲に与える影響力だと思うのです。
では、俺は価値があるのかと、スーパーで思いました。
死んだら悲しいというのは悲しむ人の身勝手な感情です。

入院しているとき何度も見ました。
俺は当初、割りとやばい階に入院していたのです。
なので亡くなる人も多くて。
泣いている人もいれば一方で大人な事情を話す人もいます。
泣いている人もせいぜい2時間でした。

でもこのとき思ったのです。
死んで価値が生まれる人もいるんだなって。
で、ふと俺はどうだろうって思ったのです。
そのときの俺の心境は最強にどん底です。
死ぬ気さえ失せるほど、どん底ですよ。

あ、ないな。これが答えでした。

そして今でもそれは少しも変わりません。
周囲に死んでも幸せになる人もいなければ
生きていても幸せになる人もいない。
そう思ったときの自分の惨めなこと。
しかもこれを中学3年で思っちゃったんだから。
だから俺はこうして息をして、生きているんです。
論理矛盾してるけど、そんな感じです。どんな感じだよ。

自分のために生きている人間。
そういう人間がいない限り、その人の価値はゼロです。
だから俺はゼロなんです。
誰かのために生きているわけでもないし
誰かが俺のために生きているわけでもない。
誰かのために生きているやつなんていない、
と思う人もいるでしょうが、そんなことはない。
高校までなら部活とか、それ以降なら友人とか。
いなくなれば生活が変わる人、代わりがいない人、
代わりが希少な人。そう言う人がいればその人は、
その人のために生きていることになる。
彼氏彼女、友人、学校の先生とか。

でも、俺にはそういう人はいません。
仮に住まいが京都からイタリアに移っても、
困る人は一人もいないでしょう。
それならいないのと全く同じです。

とりあえずバイト代には色をつけて欲しいです。
お金を着色してはダメですよ。使えなくなるので。
14時間で野口8枚にすらならないのはどうなの?って。
所詮俺の14時間はお金換算でそれ以下です。

コメント

暇つぶしの達人
暇つぶしの達人
2007年1月7日7:16

「あ、消えた」と認識されればまだマシな方でして…
「最近あの人見かけないなぁ」→実は死んでた みたいなことの方が、きついです。
そういう事は、blogだったり、リアルでもそれなりの接点しかない関係に限られる話で、それなり以上の接点を持つ場合は「消えた」なんですよね。
でも「見かけないなぁ」の人にも愛着のある人がいる私は、見かけないどころの話じゃないのに「見かけないなぁ」なんて思ってしまう事が悲しいです。
仕方のない話ですが、できたらそんな勘違いをしたくはないし、自分が消えたとしても勘違いされるのは、やはり嫌だと思うのです。

本題からズレている上に長くてすみません。

>>俺は他人が気に入る、気に入らない関係なく
言いたいことは言います。前のFateとかもそうです。
それが100%人を不快にすると思ってもです。
こんな人間の存在価値って、フセイン以下だと思う。

そんなことは無いです。別にいいと思いますよ。言いたい事を言うのは。
そういう人がいるから世の中が回ってるわけですから。
自分にはとても真似できないと思いますが、羨ましいです。
良い影響もらってます。たまに悪い影響も。

>>いなくなれば生活が変わる人、代わりがいない人、
代わりが希少な人。そう言う人がいればその人は、
その人のために生きていることになる。
彼氏彼女、友人、学校の先生とか。

目から鱗でした。
この考え方、使わせてもらいますね。

kaj
kaj
2007年1月7日9:25

>周囲に与える影響力
で良いのならば...少なくとも、私は受けちまってるなぁ(笑)
だから、続きが見たいと思うし「あなた」の言葉を聴き続けたいと思ってますよ♪

確かに此方でのお話に限れば、
>仮に住まいが京都からイタリアに移っても、
>困る人は一人もいないでしょう。
>それならいないのと全く同じです。
私も同じです。
でも、同じ言葉を聴く事が出来るのならば、結論は真逆。
だから絶対に私には必要。
違う事を感じられる事で(あなたの存在によって)私の存在が在る事が証明できると思ってますから。
そして何よりも
此方の私にとっては「お気に入り」の一つなんですからネ!!

たぬ吉
たぬ吉
2007年1月8日0:08

>暇つぶしの達人さん
コメントありがとうござます。
俺は「見かけない」と思われて、それで終わると思います。
それがリアルでの知り合いに関わらず。
たとえばMTGでも、俺が辞めて、つまりその世界では
死んだプレーヤーになっても誰も困りませんし。
でも有名なプレーヤーが引退すれば、
つまりその世界で死ねば、やはり問題になりますよね。
それのカテゴライズがただ「一般的な世界」に
変化しただけだと思うのです。
余談ですがMTGは今はどうでもいいです。ただの例ですよ。

俺が例えばバイト先で話したり、ここに書き込むことで
不快になる人は必ずいます。
だからといって日常のことを書くのは
俺の意に反するのです。お互いの欲求が相反するというか。
バイトでも指導の立場なので言わざるを得ません。
言いたいことを言っても、その後に共感されることは
ほとんどありません。ほとんどは陰口の的です。
共感されたいんです。せめてここくらいでは。
こんだけいるんだから「Fateつまんない」に
共感する人がいても良いと思う。

ここはバーチャル世界なんだから、
それくらいの欲求を求めても良いと思うのです。
いろんな人がいるのがここ、ネットの面白いところなのに
結局は右ならえな人ばかりで、ならわないとはじかれる。
ネットの長所がまったくないと思うのです。

たぬ吉
たぬ吉
2007年1月8日0:18

>kajさん
コメントありがとうございます。
俺のここに書くことがどんな影響を与えているのか、
正直自分ではわからないですし知るのも怖いです。
でも書く内容が一般的には反するもので、
受け入れられないものだとはわかります。
テープ起こしは機材がないと割りと大変なのです。
ここを見ている人間は楽なバイトと思っているでしょうが。

つまりはそういうことで、共感されることはない。
細かいところを見てもこんな感じです。
噛み付く人は本当に多いです。
マイノリティーがいけないことなのか、疑問です。
多くの人は少数派も大切に、と言うのですが、
大切にしている人を俺は見たことがないです。
だから少数派は消される運命。
恐らくもう少したてば前やっていたカードゲームのように
今の趣味の世界からも自決を迫られるでしょう。

そんな人間に存在価値があるのでしょうか。
はじめから、そこにはいなかったのと同じ扱い。
フセインは、存在したという記憶は残るけれど、
俺が何かをやっていたという記憶は誰にも残らない。
たとえここに書くのを辞めても、
長くて3日もあれば記憶から消えるでしょう。
それがヒットもうすぐ10万でも、そんなの関係なく。

kaj
kaj
2007年1月8日0:39

うん、確かに3日後は、考えていないかも知れませんが...私は執念深い性質のようでして(笑)忘れる事は出来ないんです...既に、此方で出会って消えていった方々の事も、リアルで声を掛け合った方々の事もね。
常に考え続けているって訳では勿論ありませんが、ひょこひょこと何かの機会がある度に思い出してしまうんですよ、やっぱりね(例えば、彼是20年ほど前にBBSでお世話になった細妻スターの方とかをね、未だに思ってしまうんですよ)

さて価値のお話ですが、先の人の記憶は私にはどうでも良いです。今、現在、この時点で「あなた」が居るという事が私にとっては、とても希少な価値のあることだと、在り難いことだと思っています。

...だって、私の言葉にキチンと応えてくださるなんて、私にとっては、どれほど嬉しい事か...こればっかりは、私でない「あなた」には伝わりにくいかも知れませんが...私にとっては何物にも変えがたい「価値」なのです!!!

たぬ吉
たぬ吉
2007年1月8日2:39

>kajさん
なんとなくですが、わかります。
俺はネットでもそうですが、普段あまり人と話をしません。
引きこもっているわけではないのですが。
共感される、否定される以前の問題なのです。
だから書き込まれるのは、否定されるのは正直腹立つけど
日常に変化を与えるといいますか。

既にネットの書き込みが日常での生活に
影響される時点で終わってるのでしょうが。
最近はblogを書くのも怖いんですよね。
今までも何を書いたとしても反応は薄いですし。
元々反応を目当てに書いているわけではないけれど、
書いている割には、反応ないんですよね。

反応されて、それに自分の価値を見出して。
だから一般的といわれる考えに反することを書く、
簡単に書けば「構って欲しいだけの子供」みたいな。
でも負けず嫌いな子供だからまだここで続けてる、
そんな感じなんでしょう。子供だから生きている。
これがただの大人ならとっくに孤独に負けて死んでいます。

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